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晒し首事件(さらしくびじけん)とは、1942年7月7日頃、日本軍占領統治下のシンガポール(当時の昭南特別市)で、日本軍(第25軍)が、市内数か所に獄門台を設け、軍の倉庫に侵入して殺害された現地住民の生首を晒していた事件。盧溝橋事件の記念日を期した中国系住民の抗日行動を牽制する目的があったともいわれ、日本軍政の非人道性や圧政を象徴する事件とされている〔この記事の主な出典は、リー(2000)41-42頁、シンガポール市政会(1986)374頁、洪(1986)155頁、馬(1986)106-107頁、大西(1977)149-150頁、中島(1977)133-138,143頁および篠崎(1976)37-38頁。〕。 == 事件 == 1942年7月7日頃〔馬(1986) 106頁は「7月6日」、中島(1977) 143頁は「浅間丸が停泊中の7月7日の夜」、洪(1986)155頁は「8,9月」、シンガポール市政会(1986) 374頁は「1942年6月頃」、大西(1977) 149頁は「昭和17年春頃と思うが日時は明瞭でない」、篠崎(1976) 37-38頁は「時期不定だが、占領初期の話」としている。〕、市内の目抜き通りオーチャード・ロード沿いのの前のテニスクラブの脇に獄門台が設けられ、血だらけの生首4つが晒されていた〔リー(2000) 41-42頁および馬(1986) 106-107頁がこの生首を見たとしている。生首の数は馬(1986) 107頁による。〕。獄門台には漢字で書かれた告示がはってあり、インド人らしい名前の8人が軍用倉庫に盗みに入って捕えられ、軍事法廷によって斬首、晒し首の刑に処せられたと書かれていた〔馬(1986) 106-107頁。リー(2000)は、告示が漢字で書かれていて読むことができなかったことが中国語を勉強する契機になったとしており、また生首は華人男性だったとしている(リー(2000)41-42頁)〕。8人のうち残りの4人の生首は、1つがゲラン橋のたもと、1つがビクトリヤ記念堂の前、あと2つがパシル・パンジャンに晒されていたとされる〔馬(1986) 106-107頁。洪(1986)155頁では生首は9つ。篠崎(1976) 37-38頁では8つの生首が2つずつ市内4箇所に晒されていたとされ、シンガポール市政会(1986) 374頁では市内の目抜きの道路脇3箇所に置かれていたとしている〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「晒し首事件 (シンガポール)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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